名古屋市の弁護士 森田清則(愛知県弁護士会)トップ >> 刑事 >>  犯人が他人を教唆して自己を蔵匿させ又は隠避させる行為と刑法103条の罪の教唆犯の成否について判断した最高裁令和3年6月9日判決

 犯人が他人を教唆して自己を蔵匿させ又は隠避させる行為と刑法103条の罪の教唆犯の成否について判断した最高裁令和3年6月9日判決

 犯人が他人を教唆して自己を蔵匿させ又は隠避させた場合に、刑法103 条の罪の教唆犯が成立するかについて学説上は争いがありますが、成立するとするのが最高裁の立場であり、今回の最高裁もその旨判示しました。

 刑法学が専門で東京大学名誉教授であり、いわゆる弁護士枠で最高裁判事に就任したとされる山口厚裁判官が、犯人に犯人隠避・蔵匿罪の教唆犯が成立するべきではないことについて、以下のとおり、反対意見を述べています。

「刑法103条は、罰金以上の刑に当たる罪を犯した者(以下「犯人」という。)が自ら行う蔵匿・隠避行為を処罰の対象としていない。それは、犯人が自ら逃げ隠れしても「蔵匿」したとはいわないし、「隠避させた」という要件は犯人隠避罪に該当する行為を行う者が犯人以外の者であることを前提としていると理解できるからである。このように、犯人による自己蔵匿・隠避行為は同条が定める構成要件に該当していない。この理由として、原判決のように、それらの行為も同条の規定が保護する刑事司法作用に侵害を与え得るものではあるものの、犯人の刑事手続における当事者性を考慮して政策的に処罰を限定したものであるなどと説明されることがあるが、このような処罰の政策的な限定を理論的に表現したものが、「犯人には期待可能性が認められない。」とする説明である。当審判例は、犯人が他人を教唆して、自らを蔵匿・隠避させた場合は、処罰を限定する上記立法政策の射程外であり、教唆犯として処罰の対象となるとしてきた。それを支える根拠・理由として幾つかのことが指摘されているが、犯人が一人で逃げ隠れするより、他人を巻き込んだ方が法益侵害性が高まるとの指摘がされることがある。このこと自体には理由があると考えられるが、他人の関与により高められた法益侵害性は、教唆された正犯者を処罰することによって対応し得るものであり、法益侵害性の高まりから犯人を教唆犯として処罰すべきことが直ちに導かれるわけではない。結局、正犯としてではなく、教唆者としては犯人を処罰の対象とし得ると解することは、「正犯としては処罰できないが、教唆犯としては処罰でき る」ことを認めるものであり、この背後には、「正犯は罪を犯したことを理由として処罰され、教唆犯は犯罪者を生み出したことを理由として処罰される。」といういわゆる責任共犯論の考え方が含まれ、犯罪の成否を左右する極めて重要な意義がそれに与えられているように思われる。このような共犯理解は、他人を巻き込んだことを独自の犯罪性として捉え、正犯と教唆犯とで犯罪としての性格に重要な差異を認めるものであり、相当な理解とはいえないであろう。なぜなら、正犯も教唆犯も、犯罪結果(法益侵害)と因果性を持つがゆえに処罰されるという意味で同質の犯罪であると解されるからである。このような共犯理解によれば、正犯が処罰され ないのに、それよりも因果性が間接的で弱く、それゆえ犯罪性が相対的に軽い関与形態である教唆犯は処罰されると解するのは背理であるといわざるを得ない。」

 この山口裁判官の指摘が理論的に正しいと思われ、最高裁の今回の判断は残念な印象です。